最高裁判所大法廷 昭和56年(行ツ)57号 判決 1983年11月07日
上告人
東京都選挙管理委員会
右代表者委員長
小川睦郎
右訴訟代理人
鎌田久仁夫
右指定代理人
藤井俊彦
外九名
被上告人
越山康
右訴訟代理人
山口邦明
伊藤正昭
春日寛
黒川厚雄
河原正和
村田裕
大貫端久
石山治義
中久木邦宏
黒川達雄
早乙女芳司
主文
原判決を次のとおり変更する。
被上告人の請求を棄却する。
訴訟費用は、原審及び当審を通じ、すべて被上告人の負担とする。
理由
上告代理人鎌田久仁夫、同成田忠義、同松本真一の上告理由及び同柳川俊一、同高橋欣一、同緒賀恒雄、同中島尚志、同山口三夫、同東條敬、同小野拓美、同福島尚嗣、同座本喜一の上告理由について
一 本件上告理由の要旨は、(一) 公職選挙法二〇四条の規定に基づく訴訟は、選挙を管理執行する選挙管理委員会が選挙の規定に違反した場合にこれを是正するため当該選挙の効力を失わせて再選挙を義務づけるところにその本旨があるのであつて、右訴訟で争いうる選挙の規定違反とは、選挙管理委員会が選挙法規を正当に適用することにより、その違法を是正し、適法な再選挙を行いうるものに限られるものというべく、選挙管理委員会において是正することができない衆議院議員の議員定数の配分を定めた公職選挙法の規定(以下「議員定数配分規定」という。)自体につき憲法違反の瑕疵があることを理由として公職選挙法二〇四条の規定に基づく訴訟を提起することは許されないものと解すべきであるところ、原判決が、同条は選挙規定自体の違憲、無効を理由として選挙の効力を争う場合までをも予想して規定されたものではないとしながら、本件訴えは同条の訴訟形式をかりたものとして適法であるとしたのは、同条の規定の解釈、適用を誤るものである、(二) 議員定数の配分は、高度の政治問題に属する事項であり、歴史的、社会的事情等を踏まえ、時代に適応するように政治ないし立法の分野で解決されるべき性質の問題であつて、その憲法適合性に関する司法的判断のための明確な規準もないのであるから、本件訴えは司法審査になじまない事項を目的とする不適法なものとして却下すべきであるのにかかわらず、原判決がこれを適法な訴えであるとしたのは、法令の解釈、適用を誤るものである、(三) 憲法は、平等選挙を保障するが、異なる選挙区間における投票価値の平等まで要求するものではなく、また、仮にそれをも要求するものであるとしても、国会の両議院の議員を選挙する制度の具体的決定は、憲法によつて原則として国会の裁量に委ねられているのであるから、国会の裁量権を尊重すべきであつて、具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分の下における投票価値の不平等が、国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとは到底考えられない程度に達していない限り、議員定数配分規定を違憲と判定すべきではなく、また、右規定は可分なものとして投票価値の全国的な平均値からの偏差を基準に当該選挙区の議員数の定めが右の観点から違憲かどうかを判断すべきであるのにかかわらず、原判決が、国会の裁量権の範囲を誤認し、いわゆる非人口的要素を考慮せず、また、当該選挙区における右平均値からの偏差を問題とすることなく、選挙区間における議員一人当たりの人口又は選挙人数の較差の最大値が一対二を超える場合には議員定数配分規定は全体として違憲であり、したがつて、昭和五〇年法律第六三号によつて改正された議員定数配分規定はその改正当時から全体として違憲であると判断したのは、憲法一四条一項、一五条一項、三項、四四条但し書の各規定の解釈、適用を誤るものである、というのである。
二1議会制民主主義を採る日本国憲法の下において、国権の最高機関である国会は、全国民を代表する選挙された議員で組織する衆議院及び参議院の両議院で構成され(四一条、四二条、四三条一項)、両議院の議員を選挙する権利は、国民の国政への参加を認める基本的権利であつて、法の下の平等を保障した憲法一四条一項の規定の政治の領域における適用として、成年者たる国民のすべてに対しその固有の権利として保障されるものであり、右議員を選挙する者の資格は、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならないものとされている(一五条一項、三項、四四条但し書)。更に、憲法一四条一項の規定は、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等をも要求するものと解すべきである。
しかしながら、議会制民主主義の下においては、選挙された代表を通じて国民の利害や意見が国政の運営に反映されるのであり、選挙制度は、国民の利割や意見を公正かつ効果的に国政に反映させることを目的としつつ、他方、政治における安定の要請をも考慮しながら、各国の事情に即して決定されるべきものであつて、各国を通じ普遍的に妥当する一定の形態が存在するわけではない。日本国憲法は、国会の両議院の議員の選挙について、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるものとし(四三条二項、四七条)、両議院の議員を選挙する制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量に委ねているのであるから、投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度の決定のための唯一、絶対の基準となるものではなく、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。
それゆえ、国会が定めた具体的な選挙制度の仕組みの下において投票価値の不平等が存する場合、それが憲法上の投票価値の平等の要求に反しないかどうかを判定するには、憲法上の右要求と国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させるための代表を選出するという選挙制度の目的とに照らし、右不平等が国会の裁量権の行使として合理性を是認しうるものであるかどうかにつき、検討を加えなければならないものというべきである。
2右のような見地に立ち衆議院議員の選挙の制度についてみるのに、公職選挙法は、いわゆる中選挙区単記投票制を採用し、その制定当時において、衆議院議員の定数を四六六人とし、全国を一一七の選挙区に分かち、これに三人ないし五人の議員を配分していたところ、これは、候補者と地域住民との密接な関係を考慮し、また、原則として選挙人の多数の意思の反映を確保しながら、少数者の意思を代表する議員の選出をも可能ならしめようとする趣旨に出たものであること、議員定数の配分を定めた制定当時の同法別表第一は、衆議院議員選挙法の一部を改正する法律(昭和二二年法律第四三号)による改正後の衆議院議員選挙法(大正一四年法律第四七号)の別表の定めをそのまま維持したものであること、右別表における選挙区割及び議員数は、昭和二一年四月実施の臨時統計調査に基づく人口を議員定数で除して得られる数約一五万人につき一人の議員を配分することとし、その他に都道府県、市町村等の行政区画、地理、地形等の諸般の事情が考慮されて定められたこと、及び右人口に基づく右制定当時の選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は最大1対1.51(以下、較差に関する数値は、すべて概数である。)であつたことがその制定経過から明らかである。
右にみたとおり、公職選挙法は、その制定当時、衆議院議員の選挙の制度につき、選挙区の人口と配分された議員数との比率の平等を唯一、絶対の基準とするものではないが、これを最も重要かつ基本的な基準とし、更に、前記の諸般の要素をも考慮して、選挙区割及び議員定数の配分をしたものと解されるところ、衆議院議員の選挙における選挙区割と議員定数の配分の決定には、複雑微妙な政策的及び技術的考慮要素が含まれており、これらをどのように考慮して具体的決定に反映させるかについて客観的基準が存するものでもないので、結局は、国会が具体的に定めたところがその裁量権の合理的行使として是認されるかどうかによつて決するほかはないのであつて、右のように定められた公職選挙法制定当時の議員定数配分規定が憲法上国会に認められた裁量権の範囲を逸脱するものでないことは明らかというべきである。
しかしながら、右見地に立つて考えても、公職選挙法の制定又はその改正により具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分の下における選挙人の投票の有する価値に不平等が存し、あるいは、その後の人口の異動により右不平等が生じ、それが国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお一般的に合理性を有するものとは考えられない程度に達しているときは、右のような不平等は、もはや国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定され、これを正当化すべき特別の理由が示されない限り、憲法違反と判断されざるをえないものというべきである。
もつとも、制定又は改正の当時合憲であつた議員定数配分規定の下における選挙区間の議員一人当たりの選挙人数又は人口の較差が、その後の人口の異動によつて拡大し、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つた場合には、そのことによつて直ちに当該議員定数配分規定の憲法違反までもたらすものと解すべきではなく、人口の異動の状態をも考慮して合理的期間内における是正が憲法上要求されているにもかかわらずそれが行われないときに、初めて右規定が憲法に違反するものと断定すべきである。
3以上は、最高裁昭和四九年(行ツ)第七五号同五一年四月一四日大法廷判決(民集三〇巻三号二二三頁)の趣旨とするところであり、また、議員定数配分規定そのものの違憲を理由とする選挙の効力に関する訴訟が公職選挙法二〇四条の規定に基づく訴訟として許されることも、右大法廷判決の認めるところであつて、これを変更すべき理由はない。
三そこで、公職選挙法制定後における議員定数配分規定の改正の経過及び昭和五五年六月二二日に行われた衆議院議員総選挙(以下(本件選挙」という。)当時における議員定数の配分の状況についてみるのに、議員定数配分規定は、公職選挙法制定後、奄美諸島及び沖繩の本邦復帰に伴つて前者の地域に一人後者の地域に五人の議員を配分する改正がされ、また、昭和三九年(同年法律第一三二号)及び同五〇年(同年法律第六三号)には、選挙区間における議員一人当たりの人口につき生じた較差の是正を目的として一部の選挙区につき議員数の増加及びこれに伴う選挙区の分割が行われたところ、右のうち、昭和五〇年法律第六三号(以下「昭和五〇年改正法」という。)による議員定数配分規定の改正においては、直近の同四五年一〇月実施の国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が最大1対4.83にも及んでいたのを是正するため、右改正前の衆議院議員の定数四九一人に二〇人を増員してこれを議員一人当たりの人口の著しく多い一一の選挙区に配分し、これによつて議員数が六人以上となる選挙区を分割することとされたもので、右改正の結果、前記国勢調査による人口を基準とする右較差は最大1対2.92に縮小することとなつたことが右改正の経過から明らかであり、また、本件選挙当時、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差が最大1対3.94に達していたことは、原審の適法に確定するところである。選挙区間における本件選挙当時の右較差は右改正の前後を通じた人口の異動の結果にほかならないと推定されるが、前記のとおり、選挙区の人口と配分された議員数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準とされる衆議院議員の選挙の制度において、右較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとは考えられない程度に達していたというべきであり、これを正当化する特別の理由がない限り、選挙区間における本件選挙当時の右投票価値の較差は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたものというべきところ、前記各改正の経過に照らしても、右いずれかの改正において、選挙制度の仕組みに変更を加え、その結果、投票価値の不平等が合理性を有するものと考えられるような改正が行われたとみることはできないし、他に、本件選挙当時存した選挙区間における投票価値の不平等を正当化すべき特別の理由を見出すことはできない。
四次に、本件選挙当時、選挙区間における投票価値の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたと認められるにもかかわらず憲法上要求されている合理的期間内における是正がされなかつたものとして、議員定数配分規定を違憲であると断定すべきかどうかについて検討する。
1昭和五〇年改正法による改正後の議員定数配分規定の下においては、前記のとおり、直近の同四五年一〇月実施の国勢調査に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が最大1対4.83から1対2.92に縮小することとなつたのであり、右改正の目的が専ら較差の是正を図ることにあつたことからすれば、右改正後の較差に示される選挙人の投票の価値の不平等は、前述の観点からみて、国会の合理的裁量の限界を超えるものと推定すべき程度に達しているものとはいえず、他にこれを合理的でないと判定するに足る事情を見出すこともできない上、国会は、直近に行われた国勢調査の結果によつて更正するのを例とする旨の公職選挙法別表第一の末尾の規定に従つて、直近に行われた前記国勢調査の結果に基づいて右改正を行つたものであることが明らかであることに照らすと、前記大法廷判決によつて違憲と判断された右改正前の議員定数配分規定の下における投票価値の不平等状態は、右改正によつて一応解消されたものと評価することができる。
2昭和五〇年改正法中議員定数配分に関する部分は同五一年一二月五日に行われた総選挙から施行され、本件選挙は、昭和五〇年改正法の公布の日(同年七月一五日)から起算すればほぼ五年後、右規定の施行の日から起算すれば約三年半後に行われたものであるが、前記のとおり、右改正後の選挙区間における前記国勢調査に基づく議員一人当たりの人口の較差最大1対2.92が本件選挙当時に議員一人当たりの選挙人数の較差最大1対3.94にまで拡大したのは、漸次的に生じた人口の異動によるものと推定することができる。そして、右較差の拡大による投票価値の不平等状態がいかなる時点において憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達したのかは、事柄の性質上、判然と確定することはできないけれども、右較差の程度、推移からみて、本件選挙時を基準としてある程度以前において右状態に達していたものと推認せざるをえない。
3以上の事実と次の諸点、すなわち、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数又は人口の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達したかどうかの判定は、前記のとおり、国会の裁量権の行使が合理性を有するかどうかという極めて困難な点にかかるものであるため、右の程度に達したとされる場合であつても、国会が速やかに適切な対応をすることは必ずしも期待し難いこと、人口の異動は絶えず生ずるものである上、人口の異動の結果、右較差が拡大する場合も縮小する場合もありうるのに対し、議員定数配分規定を頻繁に改正することは、政治における安定の要請から考えて、実際的でも相当でもないこと、本件選挙当時、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差の最大値が前記大法廷判決の事案におけるそれを下回つていること、などを総合して考察すると、本件において、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達した時から本件選挙までの間に、その是正のための改正がされなかつたことにより、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかつたものと断定することは困難であるといわざるをえない。
上述したところからすると、本件においては、本件選挙当時、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたものではあるけれども、本件選挙当時の議員定数配分規定(公職選挙法一三条一項、同法別表第一、同法附則七ないし九項)を憲法に違反するものと断定することはできないというべきである。
五原判決は、議員定数配分規定が本件選挙当時憲法に違反するものであつたと断定しつつ、右規定に基づく選挙の効力を否定することに伴う憲法の所期するところに適合しない種種の弊害の発生を考慮して、行政事件訴訟法三一条一項に示された一般的な法の基本原則に従い、本件請求を棄却した上で、当該選挙区における本件選挙が違法であることを主文において宣言したものであるが、原判決は、前記判示と抵触する点において失当であり、その限度において変更を免れないというべきである。
なお、前述のとおり、選挙区間における本件選挙当時の投票価値の較差は憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたものであるから、議員定数配分規定は、公職選挙法別表第一の末尾に、五年ごとに直近に行われた国勢調査の結果によつて更生するのを例とする旨規定されていることにも照らし、昭和五〇年改正法施行後既に約七年を経過している現在、できる限り速やかに改正されることが強く望まれるところである。
六以上の次第であるから、原判決には、憲法の解釈、適用を誤つた違法があり、本件上告は、その限りにおいて理由があるから、原判決を変更して、被上告人の請求を棄却することとする。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、九六条、八九条に従い、裁判官宮﨑梧一の補足意見、裁判官団藤重光、同藤﨑萬里、同中村治朗、同横井大三、同谷口正孝、同木戸口久治、同安岡滿彦の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官宮﨑梧一の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に賛成するものであるが、なお、以下のとおり、私見を付加しておきたい。
多数意見は、その引用する昭和五一年四月一四日の大法廷判決にならい、衆議院議員の選挙における選挙区割及び議員定数の配分の決定については客観的基準が存するものではないので、現実に生じている選挙人の投票の有する価値の不平等が憲法に違反するか否かは、結局、それが国会の裁量権の合理的な行使として是認しうるか否かによつて決するほかなく、右の不平等が国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお一般的に合理性を有するものと考えられない程度に達しているときは、国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定すべく、これを正当化すべき特別の理由が示されない限り、憲法の選挙権の平等の要求に反するものと判断せざるをえないとしている。このような考え方に対しては、違憲判断の基準が不明確であり、あいまいに過ぎるとして、投票価値の不平等が憲法上許容される限界を具体的な数値をもつて明確に判示すべきであるとの批判がある。原判決が「おおむね一対二を超えるような場合」を違憲判断の基準として明示したのも、このような批判を考慮した上でのことであろうと考えられる。
しかし、私は、違憲判断の基準を具体的な数値をもつて明示することは、事柄の性質上、できないものと考える。けだし、具体的な数値といつても、絶対的平等を表わす一対一以外の数値は、いずれも理論的根拠があるわけではないからである。例えば、一対二を基準とすべきであるとする見解においては、その理由として、一人一票の原則、端数の切上げ処理の必要、ある程度の非人口的要素の考慮、あるいは立法裁量の持つ幅などが挙げられる。しかし、一人一票の原則からいえば、なぜ例えば一人1.5票の実質を持つことが許容されるのか、その説明に窮するであろうし、端数処理として許容される較差の範囲を決定すべき基準はない。ある程度の非人口的要素の考慮、あるいは立法裁量の持つ幅といつても、いずれも法的に意味のある限界を示す基準たりえない。結局、一対二の基準は、理論的な根拠づけができるものとはいえず、右見解は、ただ投票価値の不平等が憲法上許容される限界の結論のみを示したものと解するほかはない。換言すれば、右限界は、一対二でなければならないというわけのものではなく、1対1.25、1対1.5等であつてもよく、1対2.5、一対三等であつてはならないということもできないのである。要するに、投票価値の不平等が選挙区間における議員一人当たりの人口又は選挙人数の較差の最大値で表わしていかなる程度に達した場合に、許容される限界を超えて議員定数配分規定が違憲となるのかは、他の考慮要素を切り離して、右較差の最大値のみによつて決定することができる問題ではないといわざるをえない。
違憲判断の基準として挙げられる具体的な数値の実質が右にみたとおりのものであるとすれば、裁判所としては、前述のとおり、投票価値の不平等が国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお一般的に合理性を有するものと考えられない程度に達しているかどうかによつて、具体的事案に即して決するほかはないものというべきである。
裁判官団藤重光の反対意見は、次のとおりである。
一 わたくしは、昭和五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三頁(以下、五一年判決という。)に関与してその多数意見に加わつた一人であり、現在もその見解を変更するつもりはない。本件の多数意見も、また、この五一年判決を前提とするものと考えられるが、五一年判決の事案と本件事案とでは趣を異にする点があり、しかも五一年判決は問題の解決について明確な基準を示したものではないこともあつて、本件多数意見と私見とでは反対の結論に達するにいたつたのである。
もう少し具体的にいうと、多数意見が五一年判決の趣旨として記述しているところは、そのかぎりにおいて、わたくしも完全に理解を同じくするのであり、また、多数意見が、本件選挙の当時に選挙区間における議員一人あたりの選挙人数の較差が最大1対3.94に達していたことをもつて、国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお一般的に合理性を有するとは考えられない程度の投票価値の不平等を示すもので、これを正当化するべき特別の理由を見出すことはできないとしている点についても、わたくしは同感である。多数意見と私見とがたもとをわかつことになる主たる分岐点は、昭和五〇年法律第六三号による公職選挙法の一部改正(以下、五〇年改正という。)によつて、五一年判決によつて違憲と判断された右改正前の投票価値の不平等状態が解消されたものと評価するか否かにある。このことは、憲法上要求されている合理的期間内に是正が行われなかつたとみるべきかどうかに関連して来る。多数意見は右違憲と判断された投票価値の不平等状態が五〇年改正によつて「一応解消されたもの」と評価し、そのことを前提として、右改正から本件選挙までのあいだに是正のための改正がされなかつたことをもつて、「合理的期間内に是正がされなかつたものと断定することは困難である」という結論に達しているのである。わたくしは、何よりもまず、この点に承服することができないのである。
五〇年改正は、多数意見の説示のとおり、直近の昭和四五年一〇月実施の国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人あたりの人口の較差が最大1対4.83にも及んでいたのを是正しようとしたものであつて、五〇年改正の結果、右較差は最大1対2.92に縮小することになつたのである。
この1対2.92という較差をどのように評価するかは、微妙かつ困難な問題である。五一年判決は、この点について計数的な基準をなんら示していない。横井裁判官は較差が一対二を超える定数配分はいつさい許されないという明快な見解を示しておられる。わたくしは、この見解に対して、充分の敬意を表する者である。五一年判決もいうとおり、衆議院議員の選挙については、選挙人数または人口と配分議員数との比率の平等がもつとも重要かつ基本的な基準とされるべきことは、当然といわなければならないからである。しかし、同時に、これのみを国会が考慮するべき唯一絶対の基準とするのが相当でないことも、同じく五一年判決の説示するとおりであるとおもう。もちろん、第二院たる参議院とちがつて、衆議院については、他にしんしやくすることのできる要素はきわめて限定されたものであるというべきであるが、だからといつて、合理的理由の有無にかかわらず、他の要素を絶対的に排除してしまうことは、行きすぎであろうとおもう。わたくしが横井裁判官の意見に完全に同調することができないのは、このような趣旨においてである。したがつて、右の比率が一対二を超えるような事態になつたときは、合理的な理由の有無を検討することなく簡単にこれを合憲とみとめることは許されないとおもう。まして、五〇年改正によつて実現された1対2.92という比率は、ほとんど一対三に近い数字である。多数意見のように、これをもつて違憲の不平等状態が「一応」にせよ解消されたものと評価し、これをもとにして是正のための合理的期間を考えることが、はたして許されるものであろうか。(のみならず、五〇年改正の結果としての1対2.92という較差は、昭和四五年の国勢調査による人口を基準として得られる数字であるから、安岡裁判官のいわれるとおり、昭和五〇年当時にはすでに一対三をかなり上回るものであつたと推認することができるというべきかも知れない。かりにそうであるとすれば、この点だけからいつても、多数意見のような議論は成り立たなくなるとおもわれるが、ここでは、この点をしばらく措いて考察を進めることにする。)
そもそも較差を是正するために立法府にみとめられる合理的期間なるものは、相当の長期間の全体を通じて、いわば巨視的な見地から考えられるべきものであろう。いま、公職選挙法公布後における人口比ないし選挙人数比による議員定数配分の最大較差の推移を概観してみると、昭和二五年四月には1対1.51(人口比)であつたものが、昭和三五年一〇月には1対3.21(人口比)になり、これが昭和三九年の法改正によつて1対2.19(人口比)にまでやや縮小されたものの、昭和四〇年一〇月には1対3.22(人口比)、昭和四五年一〇月には1対4.83(人口比)に増大し、さらに五一年判決の対象となつた昭和四七年一二月の総選挙当時には1対4.99(選挙人数比)にまで増大していたのであつた。昭和四九年九月の選挙人名簿では1対5.31(選挙人数比)という異常な較差までがみられる。そこで、五一年判決の事件が裁判所に係属中に当の五〇年改正が行われるにいたつたわけであるが、この改正によつても、前述のとおり、較差は1対2.92(人口比)にまで縮小されたにとどまつたのである。そうして、その後の資料によれば、同年九月には1対3.34(選挙人数比)、同年一〇月には1対3.71(人口比)という較差がみられる。その後は、較差は増大の一途をたどり、昭和五一年一二月には1対3.49(選挙人数比)、昭和五四年一〇月には1対3.87(選挙人数比)となり、昭和五五年六月の本件選挙当時には1対3.94(選挙人数比)となつていたわけである。その後もその趨勢は変らず、昭和五五年一〇月には1対4.54人口比)、昭和五七年九月には1対4.24(選挙人数比)という較差のみがみられる。ここに掲記した数字は、原審において認定されたものだけにかぎらないので、そのすべてをここで正式に考慮に入れることは許されないかも知れない。しかし、精密な数字はしばらく措くとして、全体の傾向が、ここに掲記したような事態と遠くないものであつたことは、おそらく公知の事実といえるのではあるまいか。
このような従来の事態を大観するときは、五〇年改正によつて、立法府が較差の是正のために相当の努力をしたことは、わたくしもみとめるのにやぶさかではないが、それは結局、単なる一時的な弥縫策の域を出るものではなかつたというべきである。昭和三〇年代からすでに現われていた較差増大の顕著な傾向に対して立法府のとるべきであつた対策を考えるにあたり、多数意見のように、五〇年改正以降の時期だけを取り上げて、是正のための合理的期間を考えることは、わたくしの賛同しがたいところである。
そうすると、本件選挙当時において投票価値の較差が憲法の選挙権平等の要求に反する程度にいたつていたのは、必要な是正立法が合理的期間内に行われなかつた結果であるとみるほかなく、議員定数配分規定は本件選挙当時にすでに違憲であつたというべきである。
二 そこで、さらに、本件選挙の効力について考えなければならない。五一年判決は、いわゆる事情判決の考え方を採用して、当該選挙が憲法に違反する議員定数配分規定に基づいて行われた旨を判示するにとどめ、選挙自体は無効としないこととして、主文において当該選挙の違法を宣言したのであつた。これは憲法上の諸利益の較量による一種の司法政策ともいうべきものであつたと理解されるべきであろう、中村裁判官の説かれるところも、同旨であろうとおもう。そうして、わたくしは、本件に関するかぎり、ほぼ同様の考慮から、やはり同じ結論をみとめるのが相当であると考える。しかし、いわゆる事情判決の考え方に従つた処理がこのような性格のものである以上、もし将来において、選挙を無効とすることによつて生じるであろう憲法上の不都合よりも、選挙権の平等の侵害という憲法上の不都合の方が上回るような事態が生じるにいたつたときは、もはや選挙の違法を宣言するにとどめることなく、選挙無効の判決をしなければならなくなるのは、当然の理であろう。
裁判官中村治朗の反対意見は、次のとおりである。
私は、昭和五〇年法律第六三号(以下「昭和五〇年改正法」という。)による改正に係る公職選挙法一三条一項、同法別表第一、同法附則七ないし九項に規定する衆議院議員の議員定数の配分に関する規定(以下「本件議員定数配分規定」という。)が、これに基づいて行われた本件選挙当時いまだ憲法に違反するものと断定する段階に至つてはおらず、したがつて、これと異なる見解に立つて本件選挙が違法であるとし、その旨を主文で宣言した原判決は、その限りにおいて違法として破棄されるべきであるとする多数意見には同調することができない。以下に、その理由及び本件の提起する若干の問題についての私の見解を述べる。
一 多数意見の引用する昭和五一年四月一四日の大法廷判決(以下「五一年判決」という。)が、いわゆる選挙権の内容、すなわち選挙人の投ずる各投票の価値の平等のもつ憲法上の意義及び効果、並びにそれと憲法が国会を構成する衆、参両議院の議員の選挙制度の仕組みの具体的内容の決定につき国会に付与した権限との関係に関して説くところは、私も全体としてこれを支持するものであり、この点については多数意見と異なるところはない。なお、若干付言すると、憲法上の選挙権の平等という観念は、一方において、代表民主制ないし議会制民主主義の下において国民を代表する議員の選挙制度を支配すべき基本原理の一つとして、右制度の具体的内容の決定を指導し、かつ、制約する組織法的側面を有するとともに、他方、国民各自が右の選挙を通じて平等に国政に参与しうることを保障するという基本的権利の保障としての側面をも有し、憲法四四条但し書は、主として前者の面について明示的な規定を設け、これに対し後者の面については、憲法は直接明示的な規定を置いてはいないけれども、法の下における平等を一般的に保障した憲法一四条一項は、憲法一五条一項の規定とあいまち、右の平等権の一内容として選挙権の平等をも保障しているものと解されるのであつて、五一年判決の説くところも、これと趣旨を同じくするものと考えられる。もつとも、憲法上の平等権の一内容として選挙権の平等の保障が、単に一定の年齢に達した国民各自に対して、選挙に際しそれぞれ一票ずつの投票権を平等に付与すべきことを保障したにとどまるか、それとも、更に進んで選挙において投ぜられる各一票が当該選挙において有する実質的な価値についても平等であることを保障したものであるかについては議論の存するところであるけれども、五一年判決は、後者の意味での平等の保障をも含み、議員の選挙につき、全国を幾つかの選挙区に分かち、それぞれの選挙区に対して選挙すべき議員を一名ないし数名ずつ配分し、単記投票によつて選挙を行わせるという選挙制度の仕組みがとられた場合において、各選挙区における選挙人数と当該選挙区に配分された議員数との比率上、各選挙人の投ずる一票が当該選挙区における議員の選出に寄与する効果に大小が生ずるようなときも、前記投票価値の不平等として憲法上の選挙権の平等の保障との関連で問題を生ずる旨を判示している。確かに、代表者選出につき選出母体を例えば一万人のグループと二万人のグループにわけ、各グループごとに一名ずつ代表者を選出させるという仕組みがとられた場合、代表者の選挙に関与する度合について両グループの構成員の間に不平等が存することは明らかであり、このような不平等もまた憲法上の選挙権の平等違反の問題を生ずるものとした右見解は、正当であると考える。上告人の所論中、いわゆる投票価値の平等は同一選挙区内における選挙人の投票相互の間についてのみ問題とされるにとどまるとする見解は、採用することができない(なお、右にいう投票者の一票が議員の選出に寄与する効果の大小とは、前記のように選挙への関与の度合の大小という一般的、抽象的なものであつて、具体的に特定の選挙区において最下位当選者が何票で当選したかによつて生ずる何人の支持者で一人の議員を当選させることができるかという点での差異とは無関係である。後者は、当該選挙区における立候補者の数、現実の有効投票数、各候補者の得票数の片寄り具合等の偶然的事情によつて左右されるものであつて、この点のアンバランスは、憲法上の投票価値の平等の問題となるものではないことに注意すべきであろうと思う。)。
二 次に、五一年判決は、右一で述べた意味での投票価値の平等は、選挙制度の仕組みのいかんによつてある程度の影響を受けることを免れないものであるところ、他方、憲法は、国会を構成する衆、参両議院の議員の選挙制度の仕組みにつきその具体的決定を原則として国会の裁量に委ねているから、右の投票価値の平等は、原則として、国会において右の点につき正当に考慮することができる政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものであり、したがつて、具体的な選挙制度の仕組みの下において現実に前記の投票価値に不平等が生じている場合には、それが国会による右の裁量権の正当な行使の結果として容認されるべきものかどうかによつてその合憲性を決すべきものとしている。そして同判決は、当該事件において問題とされた衆議院議員の選挙につき、選挙当時における各選挙区の配分議員数と選挙人数との比率に最大約一対五の較差が生じていたことに対し、右の較差が示す選挙人の投票価値の不平等は、前記の国会の裁量権を考慮してもなお、一般的に合理性を有するものとは考えられない程度に達しているばかかでなく、更にこれを超えるに至つているものというほかはなく、他にこれを正当化すべき特段の事情が認められない以上、右較差の示す投票価値の不平等は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度になつていたものと認めざるをえないと断じている。ところが、他方、当裁判所昭和五四年(行ツ)第六五号同五八年四月二七日大法廷判決(民集三七巻三号三四五頁)は、一般論としては五一年判決と同じ見解に立ちつつ、昭和五二年七月一〇日に行われた参議院地方選出議員の選挙につき、当時各選挙区における議員数と選挙人数との比率の最大較差が1対5.26となつていたのに対し、右はなお、国会による裁量権行使の限界を超え、選挙権の平等の要求に反する状態に至つているものと認めるに足りない旨を判示している。
私は、右の二つの判決における結論の相違は、次の理由によるものと理解する。すなわち、後者の判決は、公職選挙法上参議院の地方選出議員の選挙については、必ずしも人口比例主義が基本とはされていないと認められるところ、このことは、憲法の採用した両院制の趣旨、及び参議院には衆議院とは性格を異にするものがあることに照らして国会の裁量権の行使の結果として容認されるべきであり、そうである以上、この場合に選挙人の投票価値にかなり大きな不平等が生じても、直ちに憲法上の選挙権の平等の要求に反する状態になつているものと推断するに足りないとしたものであり、これに対し前者の判決は、衆議院議員の選挙における各選挙区の区分及びこれに対する議員数の配分については、いわゆる人口比例主義が最も重要かつ基本的な基準とされるべく、また、現にそうされていると認められるところ、このような選挙制度の仕組みの下においては、投票価値の平等は極めて重要な意義を有するとの見解に立ち、前記のような比率較差は国会の裁量権の行使の結果として是認される限度を超えるに至つているものと認めざるをえないとしたものと解されるのである。そして、私は、右のような理解の下に、前記両判決の見解をそれぞれ支持すべきものと考える。
もつとも、五一年判決は、衆議院議員の選挙については前記のようにいわゆる人口比例主義が最も重要かつ基本的な基準とされるべきであるとしながらも、なおそのほかにも国会において考慮し、しんしやくしうべき政策的及び技術的要素があり、これによつてある程度投票価値の不平等が生ずることとなつたとしても、国会の裁量権の正当な行使の結果としてこれを容認すべき場合があることを指摘し、このような考慮要素の幾つかを挙げている。しかし、同判決は、これらの要素のそれぞれをどの程度考慮し、これを具体的な決定にどこまで反映させることができるかについては、厳密に一定された基準はないとし、結局、国会がしんしやくしうるこれらの要素を考慮に入れてもなお、一般的に合理性を有するものとは到底考えられない程度の投票価値の不平等が生じている場合に国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定すべきものであるとの一般的、抽象的な命題を述べるにとどまり、この点についてのより具体的な基準についてはなんら言及するところがなく、右判決に対する批判や不満の多くもこの点に向けられている。そして、本件の被上告人は、議員と選挙人数との比率の最大較差一対二をもつて右の基準とすべきであると主張し、これに同調する議論も多く、横井裁判官もこの見解をとられる。
確かに、右の一対二という比率較差は、人口比例主義を唯一絶対の原理とする限り、投票価値の不平等に対する許容限度を示す基準数値として常識的にわかりやすいし、また、選挙区割そのものに触れないで単にこれらの選挙区への議員数の配分の問題としてのみとりあげる場合に技術的に生じうる最大較差を示すものであつて、右の前提の下ではそれなりの合理性を有するといえなくはない。しかし、五一年判決のいうように、人口比例主義は衆議院議員の選挙において最も重要かつ基本的な原理とされるべきものであつても、必ずしもそれが唯一絶対の原理というわけではなく、なお他にしんしやくしうる政策的要素が存在しうることを肯定する限り、右の基準はいささか厳格に過ぎるというべきであろう。少なくとも裁判所において憲法上の選挙権の平等の要求に反する程度の比率較差であると断ずる基準としては、右の要素をしんしやくした結果生じた比率較差として是認すべきある程度の幅をもたしめるのが相当であると思う。もつとも、五一年判決が他の考慮要素として挙げている事項は、それ自体として人口比例主義と併立する別個独立の原理というべきものではなく、いわば厳密な人口比例主義の貫徹に対する若干の緩和的ないし修正的要素として国会のしんしやくしうべき事項とみるべきものであるから、これによる影響として是認されるべき較差拡大の程度にもおのずから限度があり、この点を考えると、私としては、前記一対二という数値に若干の幅をもたせるとしても、その数値はせいぜい一対三の程度を超えるところまでは認められず、それ以上の較差が生じている場合には、原則として国会に許容しうる裁量権の限界を超えるに至つたものと推定するのが相当であると思う(このような数値は、論理必然的に導き出されるというものではなく、その意味で本質的には主観的要素を帯有することを免れないけれども、裁量権の及ぶ範囲を最大限に見積つても一般的にはこの程度がぎりぎりのところであるという限界線を想定することは必ずしも不可能ではなく、これによつて得られる基準はそれなりの客観性をもつということができるから、これを違憲性推定の一般的基準として用いて立法の適否を判断することは、必ずしも裁判所の恣意的判断による立法権への介入というにはあたらないと私は考える。)。
三 右の見解に立つて本件をみるに、原審の認定するところによれば、本件選挙当時、本件議員定数配分規定による各選挙区の配分議員数と選挙人数との比率の較差は、最大1対3.94に達していたというのであるから、右は国会の裁量権の行使として容認しうる限度を大きく超えており、したがつて、かかる結果を正当化すべき事由についての主張立証のない本件においては、本件議員定数配分規定による配分は、本件選挙当時憲法の選挙権の平等の要求に違反する状態になつていたものといわざるをえない。そしてこのことは、多数意見も認めるところであり、その限りにおいて多数意見と私見の間に相違はない。
しかしながら、五一年判決は、ある時点において議員定数配分規定による配分が憲法の選挙権の平等の要求に反する投票価値の不平等を生ぜしめる状態になつていたからといつて、直ちに右規定が憲法違反であると断ずべきものではなく、これに加えて、右規定がそのような状態を生ぜしめているにもかかわらず、国会において憲法上要求される合理的期間内にその是正を行わなかつたという場合に初めて憲法違反と断ずべきものであるとしているところ、多数意見は、これと同一の見解に立つて更に右の点について審究すべきであるとしたうえ、昭和五〇年改正法は、昭和四五年一〇月に実施された国勢調査による人口に基づく各選挙区の議員一人当たりの人口の間に最大1対4.83の較差が生じているのを是正するために議員の定数の増加、選挙区割の一部修正、定数配分の変更等を行い、これによつて右の較差を最大1対2.92に縮小するようにしたものであつて、これによれば五一年判決によつて憲法違反とされた改正前の議員定数配分規定の下における投票価値の不平等状態は一応解消されたものと認められること、しかるに昭和五〇年改正法の公布日(同年七月一五日)からほぼ五年後、その施行日(昭和五一年一二月五日)から約三年半後に実施された本件選挙当時に前記のような最大値1対3.94まで較差が拡大したのは、その間における漸次的人口の異動によるものと推定されるが、かかる較差の拡大による憲法違反となるような投票価値の不平等状態がいつ生じたかは判然と確定し難いこと、他方、右のような較差による投票価値の不平等が憲法違反の状態に達しているかどうかの判断自体が極めて微妙かつ困難であるため、仮にそのような状態に達しているとしても直ちにこれに対する国会の対応を期待することは困難であり、また、人口の変動に応じて頻繁に議員定数配分規定を改正することも相当とはいえないこと、更に本件選挙当時の前記議員一人当たり選挙人数の較差の最大値は五一年判決の事案におけるそれを下回つていることなどをあわせると、本件選挙当時までに本件議員定数配分規定の改正がされなかつたことをもつて、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかつたものと断ずるには足りないとしている。
私は、多数意見が右判断の前提に据えている五一年判決の一般的見解自体については異論がないが、本件においてはいまだ合理的期間内における不平等状態是正の措置が講ぜられなかつたとの要件を具備するに至つていないから本件議員定数配分規定が本件選挙当時憲法に違反するものであつたと断ずることはできないとする多数意見の見解には賛同することができない。確かに、昭和五〇年改正法による議員定数配分規定の下では、その基礎とされた昭和四五年一〇月の国勢調査に基づく人口によつて計算すれば議員一人当たりの人口の較差が最大1対2.92となり、その限りでは前記の私見によつても一応国会の裁量権の行使の結果として容認されるべき数値の範囲にとどまつているとみられないではないことはそのとおりである。しかし、右の数値は立法時よりも五年近く前の調査結果を基礎とするものであり、しかも1対2.92というのは、憲法上の選挙権の平等の要求に反するような投票価値の不平等状態と推定されるべき数値のいわば一歩手前ともいうべきぎりぎりの較差値であつて、当時における人口の異動の状態に照らせば早晩手直しを要求されるべく、国会においても当然にこの点に留意して、その後における人口の異動の推移を注視し、再検討の用意を怠つてはならないようなものであつたのである。そして現に、昭和五〇年改正法公布直後の同年一〇月に行われた国勢調査の結果や、その後本件選挙までの間に行われた二回の衆議院議員選挙(昭和五一年一二月と同五四年一〇月の総選挙)の際の資料によつても、既に最大較差値が一対三をかなり上回り、それが逐次漸増の傾向を示していることが認知されえたものと考えられるから、国会においてこれらの状況にかんがみ現行の議員定数配分規定につき更に検討を加えるべき時期はとつくに到来していたものといわなければならない。しかるに、この法改正後数年にわたる間において、国会が右のような検討を加え、更には改正の具体化について努力を開始したことを示す資料は見当たらないのである。このような事情に照らすと、私は、既に憲法の選挙権の平等の要求に反する状態になつていた本件議員定数配分規定につき、憲法上要求される合理的期間内にその是正がされなかつたものとして、本件選挙当時右規定は違憲であつたと断定するのが相当であると考えざるをえない。
もつとも、五一年判決は、較差の最大値が約一対五となつているのを違憲と判断するにとどまり、違憲の推定を下すべき較差の最大値につき具体的な判示をしていないこと前記のとおりであるから、最大較差値が一対三の程度を超えるに至つたからといつて国会が直ちに是正措置の検討を開始することを要求するのは無理であり、国会がその後なんらの是正措置をとらなかつたことを深く咎めるのは酷であるとする見方もあるいはありうるかもしれない。多数意見は、このような考慮から、本件においては本件議員定数配分規定が本件選挙当時違憲の状態にあつたことを指摘するにとどめ、あえてこれを違憲と断ずることを避け、国会において右の認定判断にかんがみて早急に右規定の是正措置をとることに期待するという方途を選んだものと推測されないでもない。しかしながら、前記のように、既に憲法に違反する状態になつている議員定数配分規定についてもそれが合理的期間内に是正されなかつた場合に初めて違憲の断定を下すべきであるとするゆえんのものは、専ら、人口の異動がその性質上可変性を有し、右の違憲状態そのものについても更に変化が予想されることと、右の人口の異動に応じてその都度定数配分等の手直しをすることが政治の安定の要請の面からみて必ずしも望ましくないという二つの理由によるものであつて、これらの点を考慮して改正の要否及び時期を決定するについても国会がある程度の裁量権を有すること、及び事柄の性質上かかる改正の実現にはある程度の期間が必要とされること等をしんしやくしても、もはや是正措置が講ぜられてしかるべき時期を既に経過しているとみざるをえない場合に初めて違憲の断定を下すべきであるとしているものなのであり、国会の不作為責任それ自体、ひいてはこれとの関連における国会の故意又は過失の有無を問題とするものではなく、したがつて、議員定数配分規定が憲法違反の状態にあることに対して十分の認識を有しなかつたことにつき国会に咎められるべき点があつたかどうかは本来右の判断とは直接の関係はないのである。のみならず、仮にこの点を措くとしても、衆議院議員の選挙においてはいわゆる人口比例主義が最も重要かつ基本的な基準原理とされるべきことは五一年判決の明示するところであり、現に公職選挙法は、当初の制定以来一貫してその趣旨に則つて規定を定めてきているのであるから、そうである以上、他の政策的考慮によつてこれに修正を加えるについても当然限度があり、右の基本原理自体に変更を加えるような大きな較差値を招来する定数配分の仕方が許されないことは既に述べたとおりであつて。このことは国会においても当然に認識し、自覚しているべきはずのことと考えられるのである。それゆえ、五一年判決が、違憲の推定を受ける最大較差値について具体的な基準を示しておらず、また、現在の最大較差値が右判決によつて違憲とされた数値に達していないことに安んじて、前記のような違憲の推定を伴うほどの較差値の増大に対しなんらの検討や努力を払わないことを結果的に容認し、違憲の断定を差し控えることは、決して当を得たものではないと考は考える。このような理由で、私としては、多数意見の前記判断に同調することはできないのである。
四 以上に述べたように、私は、本件選挙当時本件議員定数配分規定は憲法一四条に違反すると断ずべきものであつたと考え、この点において原判決と結論を同じくするものであるが、このような判断に立つた場合における右規定に基づく選挙の効力をめぐる問題について、若干の私見を付加しておきたい。
五一年判決の多数意見は、選挙権の平等の要求に反する投票価値の不平等をもたらしている部分を含む議員定数配分規定は、当該部分のみでなく、規定全体に違憲の瑕疵を帯びさせるものであるとし、また、同判決は、違憲の議員定数配分規定に基づいて行われた選挙も当然に無効となるものではなく、その旨を宣言する裁判によつて将来における議員資格喪失の効果を生ずるものと解すべきであり、公職選挙法二〇四条所定の選挙無効の訴訟によつてこのような裁判を求めることができるものと解するのが相当であると判示している。私は、これらの見解をすべて支持するものであり、これを誤りとする上告人の論旨は、いずれも理由がないと考える。
上告人は、公職選挙法一〇九条四号、三四条は、同法二〇四条所定の選挙無効訴訟において選挙を無効とする判決がされた場合にはそれから四〇日以内に再選挙を行うべきものとしているが、右は、当該選挙につき選挙の管理執行に関する規定の違反があるとされた点を改めれば、そのままの状態で直ちに適法有効に選挙を行うことができることを当然の前提としているものであつて、右の選挙の管理執行に関する規定そのものを改正しなければ適法有効に選挙を行うことができないような場合は全く予想されておらず、この点からも右の規定の憲法違反を理由として前記の選挙訴訟で選挙の効力を争うことは許されないと解すべきである旨主張するが、右訴訟の裁判で選挙が無効とされた場合に改めて当該選挙区につき選挙を行わなければならなくなることは当然であるとしても、これを常に前記一〇九条四号所定のいわゆる再選挙として行わなければならず、したがつてかかる再選挙を行うことができない場合には遡つてそのような結果をもたらす訴訟自体が認められないとする論理は、本末転倒の感を免れないし、仮にこのような論理上の問題としてでなく、解釈の合理性の問題として右のような主張がされているのだとしても、それが五一年判決の解釈を不当とするに足りるほどの有力な論拠となるものとは思えない(選挙の管理執行に関する規定の一部に違憲無効の瑕疵があつても、その部分を除外すれば格別の立法措置をまたなくてもそのまま適法有効に選挙を行うことができる場合にはいわゆる再選挙の施行を妨げられないから、この場合には上告人の見解によつても選挙無効訴訟の中で選挙法規の違憲を主張することに妨げはないはずだし、選挙法規を改正しなければ適法有効にいわゆる再選挙を行いえない場合でも、右の施行の障害となりうるのは四〇日という再選挙施行についての期間の点だけであるから、この期間の遵守が再選挙の絶対的な効力要件をなすものといわない限り、この点も結論を左右するに足りる論拠とはなりえない。もつとも、定数配分自体が全体として違憲の瑕疵を帯びる場合には、これを是正するためには、全体としての議員定数配分規定につき、更に場合によつて定数に関する規定自体についても改正を施さなければならず、その場合改正された新たな規定の下において、選挙を無効とされた当該選挙区についてのみいわゆる再選挙として新しい配分議員数による選挙を行うことが許されるかどうかはそれ自体一個の問題ではあるけれども、仮にいわゆる再選挙としてはそれが不可能で、解散による総選挙か、又はなんらかの特別の立法措置に基づく特別の選挙を行わなければならないと解されるとしても、それであるからといつて議員定数配分規定の違憲を理由として選挙訴訟で選挙の効力を争うことはできないと解さなければならない理由はないと考える。)。論旨は、理由がないというべきである。
なお、上告人は原判決がいわゆる事情判決の法理を採用、適用したことに対しても論ずるところがあるので、ここでこの点についての私見を述べておく。
選挙無効原因としての違法が存するにかかわらず、いわゆる事情判決の一般的法理を適用して、単に右違法を主文中で宣言するにとどめ、無効請求自体は棄却するという処理方法は、五一年判決が初めてこれを示し、かつ、右事件に適用したものである。私も右判決の一般的見解を支持するものであるが、これに関する右判決の判示には必ずしも明確とはいえない部分があり、そのためにいろいろな解釈を生んでいるので、この際これに対する私の解釈を明らかにしておくことも無意味ではないと思う。すなわち、右判決は、違憲の議員定数配分規定に基づいて行われたという瑕疵を有する選挙の効力が争われている訴訟においていわゆる事情判決の一般的法理を適用すべきものとする理由として幾つかの点を挙げているが、そこで指摘されている事柄は、いずれも当該事件における選挙の場合に限らず、かかる違憲の規定の下で行われる選挙のすべてについて常にあてはまるものであるから、このような理由による限り、この種の訴訟においては、常に主文中における違法宣言にとどまり、無効請求自体は棄却されることとなるのではないかとの疑問が生ずるであろう。本件上告人は、この点をとらえてむしろ選挙無効訴訟でこれを争うこと自体を否定すべき一理由としている。しかし、私は、右判決の趣旨をこのように理解することは正当ではないと思う。
行政事件訴訟法三一条一項所定の事情判決の法理は、元来、個々の具体的事案に即し、一方において当該違法な処分等による権利侵害の性質、内容、程度及びこれに対する救済ないし是正の必要性その他の事情と、他方において右処分等を失効させることによつて生ずべき公の不利益の性質、内容、程度等とを対比し、両者を比較衡量して後者が前者に優越すると認められる場合に初めて右処分等を失効させる判決を差し控えるべきであるとするものであつて、当然に個別的判断を要求するものである。五一年判決にいう事情判決の一般的法理というのも当然このような性質を有するものと理解され、同判決は、これを前提として当該事案に即して右事情判決の法理により請求を棄却すべきものと判断したにとどまり、この種の選挙訴訟においては常に被侵害利益の回復よりも当該選挙の効力を維持すべき利益ないし必要性が優越するとしているわけではなく、具体的事情のいかんによつては衡量の結果が逆になり、当該選挙を無効とする判決がされる可能性が存することは、当然にこれを認めているものと解されるのである(同判決が選挙無効の判決の結果として生ずべき種種の不都合な結果を挙げているのも、専ら、事情判決の法理を採用すべき理由としての一般論を述べたものか、又は前記比較衡量にあたつて特にしんしやくすべき点を指摘したにとどまるというべきである。)。もつとも、いかなる場合にそのような逆の判断がされる可能性があるかについては、いちがいにこれを論ずることはできないが、例えば議員定数配分規定が憲法に違反するとされながらいわゆる事情判決の法理に従つた処理がされた場合には、そこではその後右規定につき国会による是正がされることの期待の下に、この是正の可能性の存在と、右規定改正の審議については当該違法とされた選挙に基づいて当選した議員も参加してこれを行うことが妥当であると考えられることなどが比較衡量上の重要な要素とされていたものと推察されるから、右判決後も相当期間かかる改正がされることなく漫然と放置されている等、国会による自発的是正の可能性が乏しいとみられるような状況の下で更に新たに選挙が行われたような場合を想定すると、その選挙の効力が争われる訴訟において、選挙権の平等に対する侵害を是正の必要性がもはや選挙を無効とすることによつて生ずべき不利益よりも優越するに至つているものとして、当該請求を認容し、選挙無効の判決をすべきものとされる可能性は十分にあると思われる(このような無効判決は、国会に対して立法改正を間接的に強制する効力をもつが、もとよりそのゆえをもつてそれが司法権の限界を超えて国会の立法活動に介入するというにはあたらないであろう。)。少なくとも、私はそう考える。
以上の次第で、私は、多数意見と異なり、本件選挙を違法とした原判決は結論において正当であつて、本件上告は理由がないから、これを棄却すべきものと考える。
裁判官横井大三の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見中、本件選挙に適用される昭和五〇年改正法による衆議院議員定数配分規定(以下「本件議員定数配分規定」という。)がその改正当時違憲でなかつたとする点には賛成できない。したがつて、選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が更に大幅なものとなつた本件選挙当時においては同規定の違憲であることはいうまでもない。しかし、それにより選挙の効力を無効とし、当選した議員の地位を失わせることは相当でないので、選挙を無効とすることを求める被上告人の請求は、これを棄却すべきものと考える。その理由を多数意見との関連において述べれば、以下の通りである。
一 多数意見は、本件議員定数配分規定が選挙区間における議員一人当たりの人口の較差の最大値をそれまでの1対4.83(昭和四五年国勢調査の結果による。)から1対2.92に縮小したことを評価し、この程度の較差は国会の合理的裁量の限界を超えるものではないとする一方、本件選挙当時右の最大較差が1対3.94となつていたことは憲法上の平等の要求に反するという。そうすると、多数意見の描く憲法上許容される右最大較差の限界は、おおよそ一対三と一対四の間にあることとなろう。しかし、なぜそうなるのか必ずしも明らかでない。このような必ずしも明らかでない基準により国会議員の地位に影響する可能性のある議員定数配分規定の違憲合憲を論ずることは、違憲立法審査権の行使としては適当でないと思う。
多数意見は、更に、本件選挙時よりある程度以前において右最大較差が示す投票価値の不平等が違憲に達していたものと推認されるとしながら、その時から本件選挙時までは期間は憲法上要求される法改正のための合理的期間を超えるものではないとし、結局、本件議員定数配分規定は違憲と断定することはできないという。私は、この憲法上要求される法改正のため合理的期間がどの程度のものをいうのか明確でない点にも問題があると思うが、この問題と前記投票価値の不平等が違憲の状態に達したかどうかの基準が明確でないという問題とは全く別個の問題であるから。私をしていわしめれば、多数意見は、二つのいずれも明確でない基準により違憲立法審査権を行使したものということになろう。
二 私は、憲法が、国会の構成につき二院制を採用し、衆議院に第一院たる地位を与えている趣旨にかんがみ、衆議院には国民の総意がありのまま反映されるよう選挙の制度を構築しなければならないと思う。そのためには可能な限り人口比例主義により各選挙区に議員数を配分しなければならない。もつとも、現在の選挙区にはそれぞれの沿革もあり、これを分割し、又は併合することの困難であることは容易に想像されるので、いわゆる端数処理の必要性があるほか、人口の刻刻の異動に即応する定数配分の是正にもおのずから限界がある。しかし、それでも、前記人口の較差が一対二を超える定数配分は許されないと思う。なぜならば、それを許すと、ある選挙区の選挙人には一票を、他の選挙区の選挙人には二票以上の投票権を与えることになるからである。
私がこのように考える理由は、参議院地方選出議員に関する選挙無効請求事件の判決(最高裁昭和五四年(行ツ)第六五号同五八年四月二七日大法廷判決・民集三七巻三号三四五頁)の中の私の意見に示されているので、ここに繰り返さない。
私の右のような考えに基づいて本件をみると、本件議員定数配分規定はその制定当時から違憲であつたものといわざるをえない。したがつて、私の場合には、多数意見のような、法改正のための合理的な考慮期間という問題は生じない。
結局、私は、国会を構成する衆、参両議院のうち、参議院はその第二院としての性格にふさわしい議員が選出されるよう、その選挙制度の仕組みを国会自ら考案すれば足り、人口比例主義はその過程において考慮せらるべき、重要ではあるが、一つの要素にすぎないと考えるのであるけれども、衆議院は、その第一院としての性格上選挙民の一人一人に価値の平等な一票を与え、それによつて選ばれた議員によつて組織し、各種の政治的ないし政策的配慮の加えられる前の国民の総意をできる限りそのままに反映されるよう配慮されるべきものと考えるのであつて、それが日本国憲法の前文及び各規定を通じて看取される憲法の精神であると信ずる。
三 私は、以上のような理由により本件議員定数配分規定を違憲とするので、その効果について私の考てを述べておかなければならない。この点につき、原判決は、行政事件訴訟法三一条一項のいわゆる事情判決制度の基礎にある法の基本原則に従い、選挙を無効とするとの裁判を求める被上告人の請求を棄却し、本件選挙の違法を宣言するにとどめている。これは、多数意見の引用する昭和五一年四月一四日の大法廷判決にならつたものであり、私も同意見なのであるが、なお一言付加しておきたい。
いわゆる事情判決の法理に従つた処理をすることについては、いつくかの疑問が投げかけられている。
その一つは、右のような処理をせず、選挙無効の判決をしても、収拾困難な事態を生じないのではないかというのである。例えば、仮に本件議員定数配分規定全体が違憲無効であるとしても、無効とされるのは訴訟の提起された特定の選挙区の選挙だけであるから、他の選挙区選出の議員により衆議院を構成し、判決に即した議員定数配分規定の改正をすればよいのではないかというのである。しかし、通常の選挙法規違反のため選挙が無効とされる場合ならばともかく、本件の場合は、議員定数配分規定全体が違憲とされ選挙の効力が失われるのであるから、たまたま訴訟の提起された選挙区が少なかつたからといつて、通常の選挙法規違反を理由とする選挙無効と同一に論ずることはできないばかりでなく、本件選挙の場合がそうであるように、同時に多数の選挙区において同種の訴訟が提起されることも予想しておかなければならないので、単に一又は数選挙区における選出議員がなくなるにすぎないとして、収拾の困難性を否定することはできないと思う。
その二は、仮に多数の議員が欠け、衆議院の機能が停止するような事態となつても、参議院の緊急集会により暫定的な法改正を行い選挙を施行すればよいので、収拾に困難はないという意見である。しかし、衆議院議員の定数配分を参議院の緊急集会で決めるということは、暫定的な措置であるにせよ、全然筋の通らない見解と思う。
その三は、いわゆる事情判決の法理に従つた処理を重ねて行うことは、その法理の内容から見て相当でないという意見である。確かに議員定数配分規定を違憲としながらそれによる選挙を無効としないことは異例の措置である。したがつて、異例の措置を重ねて行うことには問題がなくはない。しかし、形式的にいえば、前記昭和五一年四月一四日の大法廷判決は昭和五〇年改正法による改正前の議員定数配分規定が違憲であることを前提とするものであつて、今回は右改正後の本件議員定数配分規定を違憲とすることを前提とするものである。したがつて、前に一度違憲とした法律に基づく選挙につき再度事情判決の法理に従つた処理をするものではないから、重ねて右のような処理をするものではないといえよう。しかし、私は、そういう形式論をここで述べようとは思わない。
私は、この種の事件につき議員定数配分規定を全体として違憲とする場合、常にいわゆる事情判決の法理に従つた処理をせざるをえないと考えるのである。
議会の制定した法律の憲法適合性を審査する権限を議会以外の独立の機関に与えることとするのが現在の世界的な傾向ということができるが、これを大別すると、司法裁判所が右の権限を有することとするアメリカ合衆国の採用する方式と、議会や政府から独立しているものの、司法裁判所の系列には属さない特別の機関がこの権限を有することとするいわゆる大陸法系の国の採用する方式とがある。我が国は、もともと沿革的にみても基本的には大陸法系に属するのであるが、日本国憲法は、右のアメリカ合衆国の方式を取り入れて司法裁判所に違憲立法審査権を与えることとした。ところで、アメリカ合衆国における違憲立法審査権は、裁判所の判例により時代の推移とともに確立されてきたこともあつて、右の権限を行使するための要件、これを行使してされた判決の内容や効果等についても判例の累積がある上、英米法系の裁判所に通ずるひとつの特色として、具体的事案に応じ、内容的にも形式的にも、比較的自由に裁判をする途がひらかれており、また、大陸法系の国にあつては、通常、その違憲立法審査機関の権限の行使に関し種種の具体的な定めがされているのに反し、我が国の場合、違憲立法審査権の行使の方法、これを行使して法律を違憲とした場合の法的効果、その後始末等について憲法上なんらの規定もないのであるから、これら実定法の規定の存しない分野における裁判所の行動にはおのずから限界があり、できる限り既存の実定法の解釈に工夫を加えることによつて対応するほかはないのである。本件訴えを公職選挙法二〇四条の規定に基づく適法な訴訟として認め、同法がいわゆる事情判決の制度を定めた行政事件訴訟法三一条一項の規定の準用を明文で否定しているにもかかわらず、右規定に含まれる法の基本原則の適用という手法によつて前記のような処理をすることが許されるのも、右のような実定法規の欠缺を補う法解釈上のひとつの工夫と理解すべきである。
このような基本的理解の下にいわゆる事情判決の法理に従つた処理の可否の問題を考えると、現在の裁判所としては、議員定数配分規定を全体として違憲と考える場合、それを判決の中で宣言し、国会及び国民の善処を求め続けるのが、司法権のなしうる限界であろうと思う。アメリカに見られるように、裁判所が自ら議員定数配分規定を定めたり、違憲と考える議員定数配分規定による選挙の施行を差し止めたりすることはできない。それでは、憲法によつて裁判所に与えられた違憲立法審査権が空疎なものになるとの批判があるかも知れない。しかし、私はそう思わない。本件議員定数配分規定が憲法の要求する平等の原則に反すること、選挙区間における議員一人当たりの人口の較差の最大値が一対二を超えることは許されないことを判決において明らかにし、国会と国民の賢明な対応を求めるだけで、憲法が司法に課した任務は十分果たされるものと信ずる。
裁判官谷口正孝の反対意見は、次のとおりである。
一 本件選挙当時、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差が最大1対3.94に達しており、右較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、国会の裁量に委ねられた許容限度を超えて違憲と判断せざるをえない程度の投票価値の著しい不平等状態を生じていたばかりでなく、更に、選挙人数の多い選挙区の議員数が選挙人数の少ない選挙区の議員数よりも少ないといういわゆる逆転現象が生じており、しかも、その逆転関係が通常人の判断をもつてすれば投票価値の平等を基準としたものとは到底考えられない程度の特に顕著な状態に達していたこと(議員数が三人の選挙区と五人の選挙区の関係についてこれをみれば、本件選挙当時において、前者の千葉四区の選挙人数が九六万四〇五四人、神奈川三区のそれが九〇万七九一八人であるのに対し、後者の熊本二区のそれは五三万六六〇一人、福島二区のそれは五二万八八〇二人であつて、逆転関係の極めて顕著な事態を知るべきである。)を考えれば、私も、本件選挙当時の議員定数配分規定(公職選挙法一三条一項、同法別表第一、同法附則七ないし九項)は、これを正当化する特別の主張、立証のない本件においては、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度になつていたもの、すなわち違憲状態になつていたものといわざるをえないと考える。
二 ところで、多数意見は、本件選挙当時、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差の程度が憲法の選挙権の要求に反するものであつたことは認めるのであるが、更に詳細な省察を加えた上、結論として、本件において、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達した時――右較差の程度、推移からみて、本件選挙時を基準としてある程度以前において違憲状態に達していたことを推認できるとしている――から本件選挙までの間に、その是正のための改正がされなかつたことにより、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかつたものと断定することは困難であるといわざるをえないとして、本件選挙当時の議員定数配分規定が違憲であることを否定する結論を導いている。しかし、私は、この多数意見に対しては、やはり、私なりの疑問を表明せざるをえない。
先ず、第一は、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数又は人口の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達したかどうかの判定は、国会の裁量権の行使が合理性を有するかどうかという極めて困難な点にかかるものであるため、右較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達したとされる場合であつても、国会が速やかな適切な対応をすることは必ずしも期待し難いとしている点についてである。右較差の程度が憲法の選挙権の平等の要求に反するかどうかは、なるほど国会の裁最権の行使が合理性を有するかどうかということと関連するものではあるが、憲法の選挙権の平等の要求に投票価値の平等の要求が含まれているものと考える以上、その判断は通常人の健全な常識的判断の枠を超えるものではなかろう。前記較差の程度、特に顕著な逆転現象の事態を考えれば、右較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達していたことは明らかというべきであろう。そして、国会が速やかに適切な対応をすることは期待できないというが、即座の対応が求められているわけではなく、ここで求められているのは、議員定数配分規定を憲法の要請に適応させるために必要な合理的期間内における是正である。政党間の利害、議員のいわゆる既得権等を考えれば、それが極めて困難な作業であることはよくわかる。しかし、それは事実上ないし政治上の問題であつて、ここで問われているのは憲法規範上の当為の問題であり、裁判所の判断はおのずからこの見地からする判断でなければならない。私は、この点について国会の賢明な対応を期待すべきであると考える。
第二は、人口の異動と投票価値の較差の拡大(私見によれば、特に顕著な逆転関係をも併せて考える。以下、較差の拡大という場合にこの意味で使う。)の関係についてであるが、多数意見は、右較差の拡大により投票価値の不平等状態が、人口の異動に伴い、いかなる時点において憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達したのかは、事柄の性質上、判然と確定することはできないというが、この点についても、ここ数年来の我が国の人口動態について考えたとき、にわかに賛成し難いものがある。すなわち、各種の人口統計によれば、昭和五〇年法第六三号による公職選挙法の改正時以後においては、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差は固定化する傾向にあることを看取することができる。国会としては、当然この事態を知り、又は知りえたわけであると解されているのであるから、議員定数の配分について十分考慮を払うべきであつた。
第三は、前記較差を是正するために必要な合理的期間を考えるため、多数意見がその判断の一根拠として、議員定数配分規定を頻繁に改正することは、政治における安定の要請から考えて、実際的でも相当でもないとしている点についてである。確かに抽象的定言としてはそのとおりであつて、議員定数配分規定の改正について政治における安定の要請がすぐれて重要な契機となることは異論のないところである。しかし、ここで問題となつているのは、昭和五〇年の議員定数配分規定の改正のほぼ五年後に行われた本件選挙時までの間における是正であり、その間の各選挙区における人口動態を考えれば、一回の改正で必要にして十分なものと評価されえたはずである。
以上の次第であつて、昭和五〇年一〇月実施の国勢調査の結果による選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が昭和四五年一〇月実施の国勢調査の結果による右較差より拡大していたことをもしんしやくして考えれば、昭和五〇年法律第六三号による改正後本件選挙の時までほぼ五年に近い期間右較差を是正するなんらの措置が講じられていなかつた以上、本件選挙当時の議員定数配分規定は、憲法の要求するところに合致しない状態になつていたにもかかわらず、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかつたものといわざるをえない。したがつて、右議員定数配分規定は、憲法の選挙権の平等の要求に反し、違憲の評価を免れないものというべく、また、立法者の意思に照らして考えると、選挙区割及び議員定数の配分に関する規定は不可分一体をなすと考えるのが相当であるから、右議員定数配分規定は、全体として違憲の瑕疵を帯びるものと解する。
三 以上のように、本件選挙当時、議員定数配分規定は全体として違憲と評価されるべきものであつたが、これに基づいて行われた本件選挙の効力をどのように考えるかについては、困難な問題がある。
私は、この点については、多数意見の引用する昭和五一年四月一四日の大法廷判決の趣旨に従い、行政事件訴訟法三一条一項のいわゆる事情判決の制度の基礎にある一般的な法の基本原則を適用すべきものと思う。けだし、本件のような議員定数配分規定の違憲を理由とする選挙の効力に関する訴訟においては、右選挙において選挙人の基本的人権の一つである選挙権が制約されていることによる不利益と右選挙を無効とする判決をすることによつて憲法の所期しない結果が現出することのもたらす不利益とを比較衡量した上で、後者が前者を上回ると認められるときは、右の一般的な法の基本原則の適用により、選挙を無効とすることによる不当な結果を回避する必要があると考えるからである。加えて、議員定数配分規定の違憲無効を理由とする選挙の効力に関する訴訟を公職選挙法二〇四条規定に基づいて提起しうることが最高裁判所によつて認められてから日が浅い上、最高裁判所において昭和五〇年法律第六三号による改正後の議員定数配分規定が憲法に違反するかどうかの判断が求められたのは本件が初めてであること等の事情を考慮するときは、本件においても、前記大法廷判決における場合と同様に、いわゆる事情判決の法理に従い、主文において当該選挙区における本件選挙の違法を宣言するにとどめ、右選挙の無効を求める請求は棄却するのが相当であると考える。
裁判官木戸口久治の反対意見は、次のとおりである。
私は、本件選挙当時において、議員定数配分規定がいまだ憲法に違反するものと断定すべき状態に至つていなかつたとする多数意見には同調することができない。その理由は、次のとおりである。
一 多数意見は、その引用する昭和五一年四月一四日の大法廷判決の趣旨とするところに従い、日本国憲法は国会の両議院の議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等をも要求するものであり、本件選挙当時の議員定数配分規定の下において存した選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差の最大値1対3.94が示す投票価値の不平等は、国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとは考えられず、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達していたものであつたとしながら、右投票価値の不平等が憲法の右要求に反する程度に達していたことから直ちに議員定数配分規定を違憲と断ずべきものではなく、投票価値の不平等が違憲の状態となつているにもかかわらず、国会において憲法上要求される合理的期間内における是正を行わなかつた場合に初めて右規定を違憲と断ずべきものであるとした上、本件においては、多数意見の列挙する事情を総合すると、右投票価値の不平等は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達した時から本件選挙までの間にその是正がされなかつたことにより、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかつたものとすることは困難であつて、本件選挙当時における議員定数配分規定を憲法に違反するものと断定することはできないとしている。
私は、前記大法廷判決の趣旨として多数意見が述べるところについてはこれと同じ見解に立つものであり、また、本件選挙当時、投票価値の不平等は憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達していたものというべきであるが、そのことから直ちに議員定数配分規定を違憲と断ずべきものではなく、投票価値の不平等が違憲の状態となつているにもかかわらず、国会において憲法上要求される合理的期間内における是正を行わなかつた場合に初めて右規定を違憲と断ずべきものであるとした点においても、多数意見と見解を異にするものではない。
しかしながら、多数意見が、本件において、憲法上要求される合理的期間内における投票価値の是正がされなかつたものとすることは困難であつて、本件選挙当時、議員定数配分規定を違憲と断定することはできないとする点には賛同することができない。確かに、昭和五〇年改正法により、選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は、昭和四五年一〇月実施の国勢調査の結果によつて計算すれば、その最大値が1対4.83から1対2.92にまで縮小されており、また、本件選挙当時の議員定数配分規定の下において存した選挙区間における投票価値の不平等は、漸次的な人口の異動によつて生じたものであつて、いずれの時点においてそれが違憲の状態に達したかは、事柄の性質上、判然としないというほかないものである。しかし、衆議院議員の選挙制度については、選挙区の人口と議員数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準とされるべきものであることが銘記されるべきであり、その趣旨をも表わすため、公職選挙法は、その別表第一の末尾において、同表はその施行後五年ごとに直近に行われた国勢調査の結果によつて更正するのを例とする旨規定している。また、昭和五〇年改正法による改正後の議員定数配分規定の下においても、前記のように選挙区間における投票価値の不平等がなお残存していたことからみて、同法による改正によつては、投票価値の平等が必ずしも十分に実現されたものということはできない状態にあつたのであり、同法の公布直後である昭和五〇年一〇月実施の国勢調査の結果及びその後本件選挙までに行われた二回の衆議院議員総選挙の際の資料によれば、選挙区間における投票価値の較差は、同四五年一〇月実施の国勢調査の結果に基づく右較差より漸次拡大する傾向を示していたことが明らかであるから、このような投票価値の不平等は、国会において絶えずその是正のための検討を行うことが必要とされる状態にあつたというべきであり、更に、右のような投票価値の較差の推移からみて、投票価値の不平等は、本件選挙を基準としてある程度以前に違憲の状態に達していたものと推認すべきである。しかるに、右改正法公布後本件選挙までの約五年間、あるいは同法施行後本件選挙までの約三年半の間、投票価値の不平等状態を是正するためのなんらの措置が講じられていない。このような事情に照らすと、私は、本件選挙当時、議員定数配分規定は、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかつたものとして、右規定全体を違憲と断定すべきであると考える。
二 以上のように、私は、本件選挙当時、議員定数配分規定は全体として違憲と断定すべきものであつたと考えるのが、右規定に基づいて行われた本件選挙の効力については、更に考慮を要するものと思う。
前記大法廷判決は、議員定数配分規定の違憲を理由とする本件の同旨の訴えを公職選挙法二〇四条の規定に基づく選挙の効力に関する訴訟として許容するとともに、右訴訟において議員定数配分規定が違憲と判断される場合、同法二〇五条一項の規定に従つて、常に右議員定数配分規定に基づいて選挙を将来に向かつて無効とする判決をすべきものではなく、行政事件訴訟法三一条一項のいわゆる事情判決の制度の基礎にある一般的な法の基本原則の適用により、選挙を無効とすることによる不当な結果を回避する裁判をする余地もありうるとした上、右大法廷判決において問題とされた選挙につき右事情判決の法理を適用し、右選挙の議員定数配分規定に基づいて行われたものと主文中でその違法を宣言するにとどめ、選挙無効を求める請求を棄却すべきものとしている。
私も、右大法廷判決の一般的見解を相当と考えるものである。そして、本件の場合における右法理の適用についてみるに、本件選挙当時の議員定数配分規定の下における憲法に違反する投票価値の不平等の程度及びその状態が継続している期間等は前記大法廷判決において問題とされた選挙の当時の議員定数配分規定の下におけるそれを超えるものではないことを考慮すると、私は、本件においても、選挙権の平等に対する侵害を排除する必要性の程度に比し、選挙を無効とすることによつて生ずる公の不利益を回避すべき要請が強いものと考えるので、前記大法廷判決の場合と同様に、主文において当該選挙区における本件選挙の違法を宣言するにとどめ、右選挙の無効を求める請求は棄却すべきものとするのが相当であると考える。
なお、右に述べ来つたところから明らかなように、本件において右判断に至つたからといつて、本判決後も議員定数配分規定がその改正に要すると考えられる相当な期間を経過してもなお必要な改正がされることなく漫然と放置され、更に右規定に基づいて選挙が行われることとなつた場合に、選挙権の平等に対する侵害が看過することのできない程度に至つているとして右選挙が無効とされる可能性は否定されるものではないことはいうまでもないが、どのような場合に右選挙が無効とされるかは、具体的な事件の下における個別的な事情を総合考慮して決定されるべき性質の問題である。
三 以上の次第であるから、私は、右と同旨の原判決は結論において正当であつて、論旨は理由がないので、本件上告は棄却すべきものと考える。
裁判官安岡滿彦の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見と異なり、昭和五〇年法律第六三号による改正に係る衆議院議員の議員定数配分規定(以下「本件議員定数配分規定」という。)は、改正の当時から違憲であると考えるので、以下に私見の大要を明らかにしておきたい。
右の改正は、昭和四五年一〇月実施の国勢調査の結果に基づき、選挙区間における議員一人当たりの人口の較差を是正するためになされたもので、右改正前の議員定数配分規定による較差の最大値1対4.83が改正の結果1対2.92(いずれも右国勢調査による人口を基準とするもの)に縮小されたことは、多数意見に述べられているとおりである。
ところで、右改正の前後を通じた人口の異動については、団藤裁判官が指摘される較差の推移に表されるともり、大都市周辺の人口の増加という顕著な傾向が持続しており、このことは公知の事柄に属するというべきものであるのみならず、各選挙区の選挙人数については、毎年九月及び国会議員の選挙の際に行われる選挙人名簿の登録によつても、これを把握することが可能であつたといわねばならない。前記改正にあたり、かような人口の異動について考慮がなされたかどうかは明らかでないが、右改正の結果は、これより約五年前に実施された昭和四五年の国勢調査による人口を基準とした場合ですら、既に選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が最大1対2.92に及ぶものであつたばかりでなく、右較差の最大値及び人口の異動の傾向からすると、右改正当時における較差の最大値は一対三をかなり上回るものであつたと推認して誤りはないというべきであり、また、右改正にあたり容易にこれを推知しえたものと考えられるから、これを踏まえた適切な対応がなされるべきであつたといわざるをえない。なお、右改正直後の昭和五〇年一〇月に実施された国勢調査の結果によると、本件議員定数配分規定の下における議員一人当たりの人口の較差の最大値は既に1対3.71に及んでいたのであり、このことによつても右改正時における較差の推認は十分に裏付けられるものと考える。
以上によれば、本件議員定数配分規定は、右改正当時、既に選挙人の投票の有する価値において一対三を超える較差を包蔵するものであつたといわなければならず、右較差が示す投票価値の不平等は、多数意見にいう国会の合理的裁量の限界を超えていると推定される場合にあたり、これを正当化すべき特段の理由も見出せないので、憲法違反と判断せざるをえないものというべきである。
なお、多数意見も触れているところであるが、上記の判断に関連して、右改正が、公職選挙法別表第一の末尾に規定するところに従い、直近に行われた国勢調査の結果に基づいてなされたことを根拠にこれを正当化することができるか、ということが一応問題になるかとも思われる。
しかし、議員定数の配分の問題が選挙権の平等という憲法上の要求にかかわるものであることにかんがみると、右別表第一の末尾の規定の趣旨は、五年ごとに行われる国勢調査の結果に照らし、選挙権の平等の見地から議員定数配分規定の改正を要するに至つたと見られる場合は、速やかにその改正を行うべきものとするにあると解すべきであり、もし改正の相当の年月を費やさざるをえない場合には、改正時までに把握しうる資料に基づき適切な改正を行うよう配慮すべきは当然である。特に、前記改正のように、国勢調査の約五年後になされる改正において、かような配慮は欠かせないものであつたと考えられ、昭和四五年の国勢調査の時点から前記改正時に至る間における前述の人口の異動を度外視し、直近に行われた国勢調査の結果に依拠したことをもつて右改正の正当性を裏付けとすることは決して当を得たものではないというべきである。
以上に述べたとおり、本件議員定数配分規定につき政正当時既に違憲であるとした原判決の判断は正当であり、これを前提として、いわゆる事情判決の法理に従い、当該選挙区における本件選挙の違法であることを宣言するにとどめ、右選挙の無効を求める請求を棄却した原判決は、すべて正当として是認すべきものと考える。したがつて、本件上告は、棄却すべきである。
裁判官藤﨑萬里の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見と異なり、本件訴えは不適法なものとして却下すべきであると考える。その理由は、先に参議院議員地方選出議員の選挙に関する選挙無効請求事件の判決(最高裁昭和五四年(行ツ)第六五号同五八年四月二七日大法廷判決・民集三七巻三号三四五頁)における私の反対意見の中で述べたとおりであつて、その要点は、(イ) 国会の両議院の議員定数を各選挙区の選挙人数又は人口に比例して配分することは、法の下の平等という憲法原則からいって望ましいことではあるが、それは望ましいというだけのことであつて、憲法には一四条一項を含めて右のような配分をすることを命ずる規定は存在しないから、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数又は人口の不均衡から違憲が生ずることはない、(ロ) そうすると、違憲の状態を是正する途をひらくために本件のような訴訟を公職選挙法二〇四条の規定に基づく訴訟として許容する必要があるということもないわけであつて、結局、本件訴えは不適法なものとするほかはない、というにある。
(寺田治郎 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 横井大三 木下忠良 鹽野宜慶 伊藤正己 宮﨑梧一 谷口正孝 大橋進 木戸口久治 牧圭次 和田誠一 安岡滿彦)
上告代理人鎌田久仁夫、同成田忠義、同松本真一の上告理由《省略》